フロンテーラ

Tokyo, April 1998

フロンテーラ (笑えない冗談) by Marlenlinea_luz

「ボーダーレス」とか「もう国境はない」とか・・・日本に住んでいるとよく耳に飛び込んでくる言葉について、ちょっとある機会に書いた事もあるのだけれど、ここにも書いちゃいますね。

私にとって音楽がものすごく特別なものであるというのは、歌手であるからということ以前に、音楽がその性質上、管理しようにも管理できないもの、いとも簡単に境界を越えてしまう空気のように自由な存在だからなのです。ちょっと、幻想が膨らまされすぎているような気がしますが、リリー・マルレンという歌のエピソードに象徴されるような要素を確かに音楽は持っていると思うのです。

いつも楽観的に希望というものは持っています。例えば、今やインターネットの普及で、国境を越えての情報のやりとりも、かなり自由に行えるようになってきたましたよね。でも、生身の人間が同じように越えていけるか・・・というと、世界はそこまで進化していないと思うのです。こういうと、ほとんどの国にヴィザなしで簡単に出入りできる日本人にはピンと来ないかもしれません。でも、実は世界の圧倒的に多くの国の人たちには、そんな芸当は夢また夢という事を知っていて欲しいと思うのです。ですから、いとも簡単に「国境は無い」なんて声が聞こえてくると首を捻らざるをえないのです。

昨日、東京のブルーノートに行ってきました。私の大好きなブラジル系の女性パーカッショニストで歌手の「シーラE」のライヴがあったからです。彼女のリズム&ブルースのバンドはやっぱり凄かった!私は多くの女性インストゥルメント奏者を知っていますが(私もかつてはそうだった)、どんなに実力があっても必ず男性と比較され、みんな悔しい思いをしているわけです。そんな中、誰をも唸らせるシーラEのような女性の存在はやっぱり敬意を表さざるをえないのです。

勿論それだけでなく、私は彼女の大ファンなので、CDやビデオでしか知る事のなかったシーラEのライヴに行けるというのは、何にもまして嬉しかったのです。

シーラEが素晴らしかったのは勿論ですが、今私がここで記したいのは、そんなことではないのです。キューバ人の私にとって、欧米をメインに活躍する音楽家の演奏に生で接する機会はほとんど無いに等しかったわけです。例えばシーラEは、よくフロリダで演奏をするので、本来ならキューバから小船に乗ってもすぐに着いてしまうような距離にある彼の地に聴きに行った方が遙かに近い筈なのです。ところがそうは行かなかった。

さて、そんな事を想いながら何とも複雑な心境に陥ってしまいました。キューバを遠く離れて今は日本に住む私。こんなに遠く離れているのに、至近距離にいた時には叶わなかった夢がいとも簡単に叶ってしまう。これには混乱させられました。途方もなく出来の悪い喜劇映画を見ているような気がしてなりませんでした。

ブラックユーモアにも限度ってものが・・・

例えば今(縁起でもありませんが)、私のキューバの両親が危篤状態に陥ったとします。日本人なら、とるものも取り敢えず、お金とパスポートだけを手に空港に直行して、一番早い便に飛び乗ればいい。ところが私はそうはいかないのです。日本-キューバの直行便はないので(注*)、「米国-メキシコ-キューバ」、あるいは「カナダ-メキシコ-キューバ」というように複数の国を経由して行くしかない。そこまでは日本の皆さんも同じでしょう。しかし、私には、どの経由国に行くにも「通過ヴィザ」を取得しなければならないのです。つまりそれら無しには何処にも行けない。最低、対象複数国の通過ヴィザを取得するのに5日は必要なわけで、これでは親の死に目にも会えない。こんな莫迦な話がまだ現実としてあるのです。

もうすぐ21世紀だというのに、いつまでこんな笑えない冗談がまかり通るのでしょうか。いつになったら人は自由になれるのかしら?
linea_luz
Note: このコラムは、マルレンが1998年4月に書いてスペイン語ヴァージョンのみに掲載していたものです。翻訳する時間がなく、日本語ヴァージョンがおそろしく遅れてしまいました。また、それでも慌てての意訳という情けなさ。マルレンのオリジナルを反映していない部分も相当あると思いますが、そこのところはご容赦下さい。by MOMOTOMBO
linea_luz
マルレンによる追記 – December 31, 2009
日本からキューバに行くルートが(どんどん)減っています。相変わらず、キューバのパスポートでは米国を通過もさせて貰えません。来年は(2010年は)、米国を経由しないでメキシコ・シティまで飛べたJALが(あんな事になってしまったので)、バンクーバー経由も駄目になりそうです。相変わらず世界は国境だらけで不自由この上ありません。